2007年2月12日 (月)

本田透『喪男の哲学史』(講談社)

 哲学を「二次元と三次元」「モテと喪」という観点から読み直していて、かなり分かりやすく解説しています。特にオタクなら、より理解できるのではないかと。というかかなりのオタク擁護になってます。道を誤るとヒトラーとかマルクスみたいに危険なところに行ってしまう、とも書いているけど。
 ただ、ここに出てくる哲学がほとんど西洋のものだというのが難点。東洋思想はブッダくらいかな。近代になってようやく西洋でもブッダと同じ考えが生まれた、っていうような記述からすると、東洋思想はブッダで十分だと言いたいのかもしれないけど、やっぱりきちんと書いておかないといけないと思うなぁ。特に、現代日本の恋愛資本主義批判が一つのテーマとしてあるんだから、せめて日本の思想史は必要なんじゃないかな。日本のことは東洋的・日本的な視点もないと、完全には理解できないと思うんだけど…。オタク文化が隆盛した理由が、敗戦で三次元は虚しいものだと知ったからっていうのはさすがにそれだけじゃないだろう。
 まあ西洋哲学についてはよく分かったし、なかなか面白かったんだけどね。…と、よく考えたら他の著作読んでないことに気が付いた。ああ、全然ダメだぁ…。

2006年12月 1日 (金)

無限の想像力…?

 CMというのは、商業性と芸術性の間を揺れ動く一瞬の花である。古くは番組の途中、生放送で流されていた。そのような時代に芸術性など望むべくもなく、ただ商品名を連呼するのみであった。しかし時代は変わった。今やCMは洗練され、「コマーシャル」の枠をこえて短編映画に迫ろうかという「優秀な」ものさえ、生まれている。高度成長を経て、企業の経済力や、社会に対する影響力が増すとともに、CMにおける映像技術が格段に進歩し、有能な人材が育ってきているのだ。
 だが待ってほしい。我々は何かを忘れていないだろうか。そういった「優秀な」CMというのは、ほぼ全てが全国的に有名な企業によるものである。ごく一部の有力な企業、と言ってもいい。その下には、中小企業、弱小企業、そして地方企業がある。そういった、大企業より資本的に劣る企業のCMを抜きにして「CM」を語るのは、片手落ちである。
 だが多くの人々は、それらにしばしば見受けられる狂ったセンスを指摘し、あげつらい、貶める。確かにそれらのCMには、常人が理解できる限界の狂気を帯びているものが、数多く存在する。しかし私は、それこそが魅力であると考えるし、そこにCMの真の姿があるように思えてならないのである。(後略)
 北村大輔『無名CM大全』(開盛出版) 前書きより

 最近読んだ中で一番面白かった本です。地方CMとか、有名じゃないCMを取り上げて紹介してるんですけど、ヘンなのばかり300いくつもあるんですよ。ある意味、人の力の偉大さを思い知らされた気がします。もう一気に読んだらトリップしそうになりましたから。というわけで、ぜひ読んでみてください。ここにCMの真の姿がある!…のか?